2007年11月5日月曜日

満州からの引揚者について

下の記事を書いていて、子供のころ近所の友達のお父さんお母さんに、満州からの引揚者という人が何人もいたことを思い出しました。満蒙開拓団として、関東軍将兵の家族として、あるいは満鉄の技師として招聘された日本人が結婚し、現地で生まれたのが彼らなのだと思います。冬には鍬や鋤の歯が通らないほどに凍りつく荒蕪の地を豊かなものに変えようという情熱や日本の生命線を最前線で守る防人としての使命感、優れた技術を現地の人たちと広く共有し、五族協和の理想を現出させ王道楽土の建設を夢見てと動機もさまざまながら満州の地を理想を実現できる場所、と当事の日本人は捉えていたはずです。現に豆満江には世界最大の水力発電のためのダムを完成させたり、国の発展の鍵は重工業にあるとして国内の東北地方をおろそかにしながら満州国を一刻も早く日本と同等の水準の工業国にしようと急ピッチで開発は進んでいきました。そんな建設途上の、国として承認されない数のほうが多かった満州国もソビエトの対日参戦で瓦解しました。張鼓峰事件やノモンハン事件でソビエト軍の捕虜になるとどんなひどい目に遭うか分からないというのは公然の秘密であったため現地の日本人は内地を目指して逃避行を開始することになります。列車に乗ろうにも乗降口はおろか窓からも乗る余地のないほど詰め込まれた車内、生まれたばかりの乳飲み子などは手放さざるを得なかったことと思います。しかし、中国人、満州人は子供も貴重な労働力と見る人が多く、殺される事はほとんどなく、生きてさえいればいずれ再開できるだろうと一縷の望みとともにいくばくかの米穀で仕方なく子供と別れた人も多かったと思います。これが現在にも続く中国残留孤児問題の始まりです。しかしこれは満州・中国の話で、豆満江を渡り朝鮮に入ると様子は一変します。村の学校で教師をしていた日本人が生徒たちに家屋敷を焼き払われ一家全員惨殺されたというような話はもはや珍しくもありません。いまだに秀吉の怨みとか言ってる奴がいるのには驚きます。それをいわれるのなら日本人としても刀伊の入寇や応永の外冦、元寇を持ち出すべきですね。とにかく「溺れた犬には石を投げる」、強気を扶け弱きを挫く彼らの性質はもはや民族性といっても差し支えないと思います。ここで中国残留孤児はいるのに、朝鮮残留孤児というものがいない理由をもうすこし考えるべきだと思っています。

0 件のコメント: