2007年7月7日土曜日

殿様の生活(1)

明治初期から戦前にかけての江戸文化・風俗研究家に三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)という方がいます。
この人の著作に「浅野老侯のお話」というものがあり、
芸州広島藩最後の藩主・浅野長勲(あさのながこと)に取材した藩主の日常生活を記録したものです。
直接読んだことがある訳でなく、その本からの引用が掲載された2次資料を持っていて、
普段時代劇でしか接することのできない殿様の生活というものが開陳されています。
テレビや映画の印象、権力者だからきっと贅沢三昧なんだろう、という先入観で
見られ勝ちな殿様の実際の生活を知ってもらえれば、と思いました。
長くなりそうですが、せっかくはじめたブログですので。

一日の始まりはもちろん起床です。
ところで、江戸時代は不定時法で、現代のように日の出の時間が毎日変わるのではなく、
日の出から日の入りまでの時間を等分割してしていたため、
時間の単位そのものが厳密には毎日変わっていました。
しかし時計は同じ調子でしか進んでいかないために、日の出の時間を毎日変えることにしたのが
現代の定時法です。自然のサイクルではなく、機械の都合に合わせてしまったのです。
不定時法では日の出を以って「明け六つ」としました。
「いちにちじゅう」を表す言葉に四六時中とも言いますが、4×6=24、1日は24時間なので
こういう言葉遊びが生まれました。
 ちなみに太陽暦の採用まで「一刻」は1日を12刻に分けていたので、一刻は平均2時間です。
むかしは四六時中ではなく二六時中といっていたんです。2×6=12だからです。
「にろくじちゅう」で一発変換できますし。しょっぱなから話がそれまくりですが
この辺の話は石川英輔著・「大江戸テクノロジー事情」に詳しい話が載っています。
amazonのリンク貼ろうと思いましたが、マーケットプレイスでしか扱いがなかったようなので
やめておきます。文庫本とハードカバーサイズがあります。興味のある方は他所で探してみてください。

閑話休題、浅野老候の場合起床は大体午前7時ごろだったそうです。
宿直(とのい)の小姓が起こしに来るので寝ているわけにはいかなかったそうです。
起きると身支度を整えるために耳盥(みみだらい、取っ手のついたたらい。)で体を拭く為の
水を運び込み着替えや顔剃り(ひげ、月代)を小姓たちが2,3人がかりで行いました。
ここで最初の我慢が顔剃りです。担当の小姓は床屋さんみたいに専門職ではないので
はっきり言って手許が危ないです。更には殿様の体に直に触れられる身分ではないので、
手を添えることもできず伸ばした手でシェービングフォームもないまま
削るように剃り上げていくため痛くてたまらないのですが、
「イテテ」とか口走ることはできなかったそうです。言えば最後、双方の武士の面目に関わります。
殿様は堪え性がないと評価を下げますし、小姓は責任問題に発展しかねません。
顔剃りの不満を口にしただけで、とんでもない大事になってしまうかもしれません。
これでは殿様も後味が悪いでしょう。少しかみそり負けしたぐらいはじっと我慢の子です。

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