名称 ()内は通称。 | 編成年 | 構成 | 規模 | 解散の形態 |
第1SS装甲師団 アドルフ・ヒトラー | 1933年 | ドイツ人 | 連隊。のち旅団、師団へ拡大 | 1945年降伏 |
第2SS装甲師団 ダス・ライヒ | 1939年 | ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第3SS装甲師団 "髑髏" | 1940年後期 | ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第4警察装甲擲弾兵師団 | 1940年 | ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第5SS装甲師団 ヴィーキング | 1940年後期 | ドイツ人、西ヨーロッパ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第6SS山岳師団 ノルト | 1940年後期 | ドイツ人 | 旅団、後師団へ拡大 | 1945年降伏 |
第7SS義勇山岳師団 プリンツ・オイゲン | 1942年 | ユーゴスラヴィアのドイツ系住民 | 師団 | 1945年降伏 |
第8SS騎兵師団 フロリアン・ガイエル | 1942年 | ドイツ人、ドイツ系住民 | 師団 | 1945年降伏 |
第9SS装甲師団 ホーヘンシュタウフェン | 1943年 | ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第10SS装甲師団 フレンズベルク | 1943年 | ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第11義勇装甲擲弾兵師団 ノルトラント | 1942年後期 | ドイツ人、西ヨーロッパ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第12SS装甲師団 ヒトラー・ユーゲント | 1943年 | ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第13SS山岳師団 ハントシャール(クロアチア第1) | 1943年 | ユーゴスラヴィアのムスリム | 師団 | 1945年解散 |
第14武装SS擲弾兵師団 (ガリツィエン第1) | 1943年 | ウクライナ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第15武装SS擲弾兵師団 (レットラント第1) | 1943年 | ラトヴィア人、ドイツ人 | 師団 | 1945年降伏 |
第16SS装甲擲弾兵師団 "SS長官" | 1943年 | ドイツ人、ドイツ系住民 | 師団 | 1945年降伏 |
第17SS装甲擲弾兵師団 ゲーツ・フォン・ベルリヒンゲン | 1943年 | ドイツ人、ドイツ系住民 | 師団 | 1945年降伏 |
第18SS義勇装甲擲弾兵師団 ホルスト・ベッセル | 1944年 | ドイツ人、ドイツ系住民 | 師団 | 1945年降伏 |
第19武装SS擲弾兵師団 (レットラント第2) | 1944年 | ラトヴィア人 | 師団 | 1945年降伏 |
第20武装SS擲弾兵師団 (エストニア第1) | 1944年 | エストニア人 | 師団 | 1945年降伏 |
第21武装SS山岳師団 シュカンデルベック(アルバニア第1) | 1944年 | アルバニア人のムスリム | 編成完了せず | 1944年解散 |
第22SS義勇騎兵師団 マリア・テレサ | 1944年 | ドイツ人、ドイツ系住民 | 師団 | 1945年降伏 |
第23武装SS山岳師団 カマ(クロアチア第2) | 1944年 | ユーゴスラヴィアのムスリム | 編成完了せず | 1944年解散 |
第23(2)SS義勇装甲擲弾兵師団 ネーデルラント | 1945年 | オランダ人 | 連隊 | 1945年降伏 |
第24SS武装SS山岳猟兵師団 ロック・クライミング | 1944年 | イタリア人、ドイツ系住民 | 不明 | 1945年解散 |
第25武装SS擲弾兵師団 フンヤディー(ハンガリィ第1) | 1944年後期 | ハンガリィ人 | 不明 | 消滅 |
第26武装SS擲弾兵師団 (ハンガリィ第2) | 1944年後期 | ハンガリィ人 | 不明 | 消滅 |
第27SS義勇擲弾兵師団 ランゲマルク | 1945年 | フランダース系ベルギー人 | 連隊 | 1945年降伏 |
第28SS義勇装甲擲弾兵師団 ワロニエ | 1945年 | ワールン系ベルギー人 | 連隊 | 1945年降伏 |
第29武装SS擲弾兵師団 (ロシア第1) | 1944年 | ロシア人 | 連隊 | 1944年ウラソフ軍へ移管 |
第29(2)武装SS擲弾兵師団 (イタリア第1) | 1944年ロシア第1の転籍後編成 | イタリア人 | 連隊 | 1945年消滅 |
第30武装SS擲弾兵師団 (ロシア第2) | 1944年 | ロシア人 | 連隊 | 1944年ウラソフ軍へ移管 |
第31SS義勇装甲師団 ベーメン・メーレン | 1945年 | ドイツ人、ドイツ系住民 | 連隊 | 1945年降伏 |
第32SS装甲擲弾兵師団 "1月30日" | 1945年 | ドイツ人 | 連隊 | 1945年降伏 |
第33武装SS騎兵師団 (ハンガリィ第3) | 1945年 | ハンガリィ人 | 連隊 | 1945年全滅 |
第33(2)武装SS擲弾兵師団 シャルマーニュ(フランス第1) | 1945年 | フランス人 | 連隊 | 1945年ベルリン防衛線で全滅 |
第34SS義勇擲弾兵師団 ラントシュトルム・ネーデルラント | 1945年 | オランダ人 | 連隊 | 1945年解散 |
第35SS警察擲弾兵師団 | 1945年 | ドイツ人警察官 | 連隊 | 1945年解散 |
第36武装SS擲弾兵師団 | 1945年 | ディレルヴァンガー旅団として編成 | 旅団 | 1945年降伏 |
第37SS義勇騎兵師団 リュッツォー | 1945年 | ドイツ系住民 | 連隊 | 1945年降伏 |
第38SS装甲擲弾兵師団 ニーベルンゲン | 1945年 | SS士官候補生 | 連隊 | 1945年降伏 |
ここで突然、ナチス武装親衛隊の編成を投稿します。
20数年前に買った、サンケイ出版第2次世界大戦文庫"ナチ武装親衛隊"というものを所持しており、史料価値があるのではないかと思いwebに載せておこうと思ったしだいです。tableタグを使用していますが表示がうまくいかなかったらごめんなさい。武装親衛隊というのはかなり特殊な位置づけで、ナチ党に所属し、ドイツ国防軍と並存していました。党の私兵というと真っ先に思いつくのが中国の人民解放軍や北朝鮮の人民軍ですが、それらは事実上の国軍として位置づけられており、軍組織は基本的に1国に1つだけです。イランも例外的に軍とは別組織の革命防衛隊という第2の軍と呼ぶべきものがあります。ドイツ国防軍が基本的に徴兵制で兵力を維持していたのに対して、武装親衛隊はナチ党の私兵として熱烈な信奉者から志願制で集まった若者で構成され、親衛隊に所属していると国防軍の徴兵の対象外とされました。また、創設者のハインリヒ・ヒムラーの、ニーチェの超人思想に影響を受けたとも思われる強烈なアーリア人信仰から、親衛隊員は純粋アーリア人でなくてはならないとされましたが実際はこの編成表でもわかるとおり多様な人種が参加していました。また師団を編成できるほど人員がそろわなかったもののイギリス軍の一部として参戦し捕虜になっていたインド人シク教徒から徴募されたSSインド人部隊というのも存在しました。この部隊の創設には
自由インド仮政府のスバス・チャンドラ・ボースも関わっていたようです。
この編成表でも出てくる用語について少し触れます。装甲擲弾兵師団という名称を例にすると、装甲=機械化、すなわち移動手段・物資の補給用途にエンジンのついた車両が配備されているという意味です。いまでこそ全師団レベルで自動車化されているのはあたりまえですが、パリ入城時のドイツB軍団の写真でも移動・輸送手段の主流は軍馬でした。現に武装親衛隊の制服のズボンは乗馬服の形式をとっています。日本でも戦後、米軍の騎兵師団が占領軍として進駐するということで、乗馬の心得のある人でしょうか、日本軍を負かした米軍騎兵というのはどれほどの手綱さばきなのかと胸躍らせて沿道まで見物に出たら、肝心の騎兵が皆ジープに乗ってて拍子抜けしたという逸話も残ってます。閑話休題。擲弾兵というのは歩兵が細分化された一兵科で、もともとは重武装で敵軍陣地に肉薄して爆弾(のち手榴弾)を投擲してすぐ帰還する、場合によっては陣地防衛に展開してきた敵兵と白兵戦を繰り広げるという兵科だったため歩兵のうちでもエリート集団とされていました。もちろん現在ではそんな兵科は存在しませんが、機械化歩兵師団の美称として現在でもドイツ連邦軍に引き継がれています。あと、空軍にも降下猟兵という兵科があり、これは空挺部隊のことを指します。しかしこの言葉選びのセンスは秀逸です。同じものをさしていてもドイツ軍の方がかっこよく聞こえますよ。
SSはSchutzStaffelの略称で、武装親衛隊WaffenSSは純軍隊でしたが、(一般)親衛隊AllgemeineSSは一般人でも加入でき、襟につけるルーン文字のSを少し傾けて2つ並べたデザインは憧れの対象であり、役場の職員から警察官、教師や医師まで競って襟飾りとしていました。また、SSの帽子につけられた有名な髑髏の紋章は「骨になっても国土を守り抜く」という意味が込められていました。
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